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東京地方裁判所 昭和63年(合わ)15号 判決

主文

被告人を懲役一二年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、大学を中退後、証券会社、婦人服製造会社での勤務等を経て、昭和六〇年から新聞拡張員として新聞拡張団を転々としては集金の使込みや借金の踏倒し等を重ね、昭和六二年五月には東京都練馬区内で甲野一夫が経営する朝日新聞拡張団甲野会に入つたが、前借金や架空の契約カードを作成して報酬を得ていたことが露見したことによる返済金、勧誘用の景品の購入代、部屋代等の未清算金(以下「借金」という。)がたまる一方だつたことなどから、同年一〇月中旬、甲野会に籍を置いたまま、甲野に黙つて日経プレス販売株式会社に入社して、日本経済新聞の拡張を始め、同年一一月二一日ころ甲野会を退会した。

ところで、被告人は、当時、甲野に合計約一四万五〇〇〇円の借金をしており、同人からその棒引きを断られたので、借金を踏み倒すつもりで行方をくらましたが、同年一二月中旬になつて甲野が被告人の所在等を知り、勤め先の鷺宮専売所の所長である乙山太郎らに再三電話をして、被告人を甲野会と競合する区域で働かせるのは信義に反するとして抗議するとともに、当時さらに架空の契約カードが露見したことなどにより約一九万円になつていた被告人の借金を給料から差し引いてくれるよう要請してくるようになつた。電話のあつたことを乙山の妻から聞いた被告人は、同月二二日ころ、甲野に電話をかけ、借金の棒引きを迫つたが受け付けてもらえず、同月二八日の夜甲野の家に行くと約束しておいたところ、さらに、同月二六日、乙山らから、借金が解決しないで苦情の止まない間は仕事をさせないと通告されたので、このままでは会社を首になるかもしれないと甲野の行動にひどく立腹し、何としても同人と話をつけなければならないと思い、翌二七日夜、同人に電話をして一九万円はとても払えないなどと強い口調で言つたところ、同人が一五万円まで金額を譲つてきたが、多少の支払いは覚悟していたものの、同人を脅してでも借金を棒引きにさせようと考えるようになり、翌二八日夜同人の自宅や付近にある甲野会事務所の様子を窺い、翌二九日午前零時一五分ころになつて甲野が自宅に一人でいるのを見定めてから、同人宅を訪れた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和六二年一二月二九日午前零時一五分ころから、東京都練馬区〈以下省略〉甲野一夫(当時五一歳)方において、同人に対して「今日来ると言つていたのに、何で会社の方に電話なんかしたんだ。日経の方にごちやごちや言われ、俺は辞めろと言われている。足を引張られたうえで、どうして一五万円なんか払えるんだ」、「ごちやごちや言うな。俺は首になる寸前だ。何で銭を返さなければならないんだ」、「俺は首と同じなんだから明日から生活できないんだ。その分金を出してくれ」などと怒鳴りつけ、同人の上着の襟元を利き手である左手で掴み、肘で同人の首を押し上げるようにしたうえ、「何だこの野郎、叩きつけてやろうか」と怒鳴りながら同人を突き飛ばして転倒させたところ、同人が傍らにあつた置物の石塊大小二個を続けざまに投げつけてきてこれらが被告人の頭部に当たつたことに激高し、同日午前零時三〇分ころから午前一時三〇分ころまでの間、右石塊のうち大きい方の一個(長さ約一七センチメートル、幅約七センチメートル、高さ約一一センチメートル、重量1.2ないし1.3キログラム位)を左手に掴み、甲野の首を右腕でねじるようにして抱え込んでその頭部を四、五回思い切り殴りつけ、同人の頭部から出血したのを見るや、「こうなつた以上、殺してやれ」と決意し、悲鳴を上げ逃げようとする同人に馬乗りになるなどしてその頭部及び顔面部を右石塊や同所にあつたラジオカセット(硬質プラスチック製、長さ45.9センチメートル、幅11.6センチメートル、高さ13.2センチメートル、重量電池とも3.14キログラム、昭和六三年押第二二九号の一)であわせて約二〇回にわたり殴打し、さらにとどめをさすべく、同人に馬乗りになつたまま、同人の頸部を左手で握りつぶすようにしたうえ体重を預けるようにして締めつけ、よつて、即時同所において、同人をして、頭部、顔面打撲による失血に伴う急性循環不全により死亡させて殺害し、

第二  甲野を殺害して寝込み、目が覚めた後の同日午前七時ころ、逃走資金にするため、同所において、同人所有に係る現会約三万二五〇〇円及びカメラ一台(時価四万円相当)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の判示第一の所為は、甲野が置物の石塊を頭頂部に、続いて小型の石を右側頭部に投げつけ、さらにラジオカセットを両手に持つて立ち向かつてきたことに対する過剰防衛である旨主張するので、この点について判断する。

なるほど、被告人が甲野を殺害するに至つた過程に同人の投石行為が存したことは判示のとおりであり、その後も被告人が甲野から投げつけられた石塊を持つて同人に向かつて行つた際同人がラジオカセットを持つていた旨の被告人の供述(但し、被告人も甲野が立ち向かつてきたとまでは供述していない。)を排斥するに足る証拠はない。

しかしながら、甲野の被告人に対するこれらの侵害行為は、甲野に対し被告人が判示のとおりの脅迫や暴行を加えたことに対して、直接惹起された反撃行為であることは明らかである。甲野は、被告人に対しあらかじめ敵対心を抱いていたわけではなく、深夜一人でいるところで、何の落度もないのに思いもかけず、一方的に脅迫されたうえかなり強い暴行を受けたのであるから、被告人に対して反撃行為に出るのは無理もないところである。また、その態様や程度も、被告人の受傷状況や被告人自身甲野が自分をやつつけるとか殺すとかいう感じは受けなかつた旨供述していることからみても、被告人がそれまで加えていた暴行脅迫の程度と比較して過剰なものではなく、投石という手段によるかどうかはともかく、被告人の先行行為に対して通常予想される範囲内のものであるにとどまる。そうすると、甲野から受けた侵害は、被告人自らの故意による違法な行為から生じた相応の結果として自らが作り出した状況とみなければならず、被告人が防衛行為に出ることを正当化するほどの違法性をもたないというべきである。

したがつて、甲野の侵害は、違法な先行行為をした被告人との関係においては、刑法三六条における「不正」の要件を欠き、これに対しては正当防衛はもとより過剰防衛も成立する余地はないと解するのが相当であり、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の所為は同法二三五条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させない。

(量刑の事情)

本件は、判示のとおり、新聞拡張員をしていた被告人が、元雇主から借金の清算を迫られたが、その減免を求めて脅迫、暴行に及んだところ、被害者から投石されて憤激し、これを殺害したうえ、その場にあつた金員等を窃取した事案であるが、そもそも、本件の発端は、競輪が好きで従前の勤め先でも集金の使込みや借金の踏倒しをしてきた被告人が、払おうと思えば払えるだけの収入を得ていながらまたもや借金の棒引きを図り、暴力まで振るつたこと等の被告人の全くもつて身勝手な行動にあり、犯行に至る経緯にはいささかも酌量の余地はない。犯行態様も、悲鳴を上げて必死に逃げようとしていた被害者を相当の重量をもつ石塊やラジオカセットで情け容赦なく執拗に殴打し、最後には抵抗する力を失つていた被害者の首まで締めたものであり、凶悪かつ残忍なものである。また、被害者は、正当に成立した債権を穏便に取り立てようとしていただけであり、本件当日も被告人に暴行を加えられるまでは全く平穏に被告人の相手をしていたもので、被害者に落度はなく、尊い生命を奪われた被害者の無念は察するに余りあり、被害者の遺族も被告人に対して厳罰を求めている。その他、被告人の罪証隠滅行為、被告人が被害者の遺族に対して何ら慰謝の措置を講じてないこと、被告人の反省悔悟の情が十分とは言い難いこと等の事情をも勘案すれば、被告人の刑責は重大であり、被告人には前科がないこと、犯行後一週間を経過した後とはいえ自ら警察に出頭していること等被告人に有利な事情を斟酌しても、被告人に対しては主文掲記の刑が相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤文哉 裁判官豊田健 裁判官畑一郎)

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